韓国の青龍アワードの受賞式が先日ありましたが、その中で「The 8 Show ~極限のマネーショー」がずいぶんいろいろと名前が出てまして、新人女優賞・助演女優賞・主演女優賞・主演男優賞の4部門ノミネート。しかも主演女優賞のノミネートは「恋愛体質〜30歳になれば大丈夫」のチョン・ウヒさんだったので、果たしてどんな姿を見せてくれるのかが楽しみで、鑑賞してみました。
虚構臭い舞台装置と、シチュエーションの設定が面白い
ドラマの全体の筋立てとしては、人生に失敗して大きな金が必要となった人間が一同に集められ、賞金の獲得を目指していくという「カイジ」方式。
なんですが、カイジやほかのサバイバルゲーム物と一線を画するのが、「8人のうち誰か死んだらその時点でゲーム終了」という、脱落を許さない設定です。8人全員がトライし続けなくてはいけない中で、それぞれの関係性や心理状況が混沌を極めていく、という構成のドラマです。
このドラマも面白いところは、まず、あらかじめ何かのゲームが用意されているというわけではなくて、単に8人が8階建ての建物に集められ、それぞれ自分が選んだ階数に住み、「この建物の中にいる間は、単に『1分毎に賞金が加算』されていく」というルールなんです。まさに、タイムイズマネー。時は金なりそのままのルール設定。
なんですが、「ゲームの残り時間」が広場に刻々と表示されていて、これが何もしないとどんどん減っていってしまいます。さらに、(これは比較的すぐわかるのでネタバレには当たらないと思うのですが)居住する階数によって、1分毎に増えていく賞金額が全く違う設定となっているわけです。ゲーム開始時、参加者全員に共通するメリットは、「なるべく居続ける時間を引き延ばそう」ということだけ。この、タイムリミット物ではなくて逆に時間無制限という設定が、とんでもない地獄へと導いていくわけです。
そして入居して比較的すぐに、残り時間があと24時間程度と表示され、それではどう計算しても必要なお金を得られないため、「残り時間を増やすため」に参加者全員が「どうすれば増えるのか」と、その謎をとこうとします。そこで8階の居住者であるチョン・ウヒ演じる「8階」だけが知っていた、「残り時間を増やす方法」とは・・・?
このあたりになると、壁面に設けられた階段(8階まで各階ごとの折り返しで続いている)を始めとして、いろいろなものがあえて嘘くさい作りになっていて、ゲーム参加者は皆「これはいったい何をやらされているんだ?」と疑心暗鬼になってくるわけです。参加者たちが強制的に着せられるユニフォームも、いかにも「虚構」のメタファーであるかのような、「ポケットだと思ったものは、それは服にただ線が書かれているだけ」のもので、全体として絵的な世界観の作り方がすごく上手だな、と思いました。
ご注意:暴力シーンの耐性がない人は途中見てられなくなります
参加者が集められた8階建ての建物ですが、トイレもシャワーもないんですよね。このことが、後々になって少し大きな問題となります。参加者は得た賞金で買い物ができる設定なので、簡易トイレを買ったりするわけですが、物価はなんと外の世界の100倍。物価が100倍ということは、買い物一つするにしても、賞金の高い階の人と低い階の人では考え方が全く異なってくるわけですよね。この物価100倍システムをはじめとして、ゲームのあらゆる設定が「参加者の不公平感を最大限にあおる」ということを目的として作られているかのようで、ゲームの途中である一人の参加者が、その「不公平を最大にあおる」設定と、そのほかのゲーム設定を利用することによって、「自分一人が圧倒的有利に立てる」ことに気づくわけです。そしてその参加者は、容赦なくその方法を行使します。
ここから8人は階級化と序列化がかなり熾烈なものとなり、「自分の欲望と金のためには他人を犠牲にしてもなんとも思わない人」と「そんな生き方はできない人」と「優柔不断な人」とに完全に分かれてしまって、なかなかの地獄絵図が続きます。
「自分の欲望と金のためには他人を犠牲にしてもなんとも思わない人」は、その定義どおりに暴力をなんとも思わないため、他の人を征服するための道具として平気で暴力に訴える人として描かれています。
このくだりで、相当な暴力描写がかなり繰り返し繰り返し、続いていきます。ドラマとしてはそこそこ面白いんですが、この暴力描写が僕には度を超えたものに思えて、少し辛かったな。そして当然のことながら、「暴力を振るわれたから暴力でお返ししてやる」と考える人もいて、完全に狂気に支配された世界が出現します。
暴力シーンを見たくない人は、このドラマ見ないほうがいいと思います。まあ、第8話のラストシーン見て、ああ、そういう設定ならまあ少しは許容できるかな・・・とい気分にはなったんですけど。
エンドロール始まってももう少し見てないとダメですよ。
ドラマのラスト、カメラがどんどん上に引いていって、バンっと真っ暗な画面になったあと、ワンテンポ置いてエンドロールが始まります。でもここで消しちゃダメですよ。ちょっとエンドロールが続いたあとで、本物のエンディングが待ってますから。
まあ、あのエンディングについては、「実際どうだったかは視聴者の想像に委ねます」という終わり方で、なんといいますか、親切な終わり方だったかな、と思います笑
★以下、ネタバレ少しあります★
以下、エンディングに関してのネタバレがありますので、未視聴の方はご遠慮ください。
このドラマは一応、最後に7階のキャストだった映画監督(?)が、プロデューサーに「・・・という脚本を書いてみましたが、どーすか?」となってるシーンで、A4用紙に印刷された脚本の原案をプロデューサーがパタンと閉じて「面白いね!やってくれると思ってたよ!」と告げるシーンで終わりとなります。要するに、これまで見せられていたドラマは、「脚本の内容を映像化しました」という意味ですよね。
そして、それが本当に「脚本」なのか「実際の経験」だったのかは、視聴者の想像に委ねますよ、という、含みを持たせた終わり方です。
まあ、それはどっちでもいいんです、もはや笑
いずれにしても、「・・・という脚本なんですけどどーすかね?」というプレゼンをしているということであれば、まあ、あの延々と続いた暴力シーンに対して、少しはエクスキューズになるのかな、という感じはしました。
この最後の、「脚本の内容をそのまま映像化して視聴者に見せました」というトリックは、ずいぶん前にフランソワ・オゾン監督が「スイミング・プール」(2003年)という映画でやった手法で、全然新しいものではありません。フランソワ・オゾンのスイミング・プールは、避暑地の別荘にやってきた初老の女性作家が、作品を書けなくなって悩んでいる姿が描かれるんですが、その別荘に、編集者の娘である、奔放でわがままでセクシーなリュディヴィーヌ・サニエ(役名・ジュリー)がやってきて、さんざんに老作家の心と生活をかき乱す、というストーリーなんです。そしてその、リュディヴィーヌ・サニエ演じるジュリーの奔放極まる官能的な日々が、実は初老の女性作家が書いていた新作のストーリーをそのまま映像化してみたんです、という作りとなっています。
フランソワ・オゾンは僕が知ってる限りその種明かしをしてないので、たぶんあの映画見て「あのラスト、全く意味が分からん!」ってなった人多いんじゃないかな? ラストシーンで、リュディヴィーヌ・サニエが演じてたはずの少女(ジュリー)が、初老の女性作家が訪れていた出版社にやってきて、編集者(少女のパパ)のもとに駆け寄っていくんです。しかし、そこに映し出されたジュリーの姿は、性に奔放で情熱的で「自由」と「わがまま」だけを身にまとって生きてたようなリュディヴィーヌ・サニエとは似ても似つかない、歯列矯正の器具をはめた超マジメ少女だった、というところでエンドロール流れるんですよね。
終わった瞬間、チンプンカンプンなんですよ笑
でも、シャーロット・ランプリング演じる老作家の新作の内容を映像化したわけね、と考えると全て腑に落ちる、という、実にもったいぶった作品笑 たしか、エンドロールにかぶって「スイミング・プール」という新作の本の表紙が映るんじゃなかったかな? 忘れちゃったな、違ったらゴメンナサイ。見直す気にもならないし笑
それに比べると、あからさまに「・・・っていう脚本書きましたけど、どうです?」で終わってる本作は、親切な作りだな、と思った次第です笑
あと、強制的に眠らせない罰を執行してる時、まぶたが落ちてこない器具を装着させてるじゃないですか。あれはほぼ同じ器具を使用しているシーンがスタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(1971年)の中にありまして、まあオマージュと言っていいようなものだとは思うんですが、「時計じかけのオレンジ」自体がかなり強烈な暴力シーンのある映画なので、思い出してちょっとつらくなりました。
まあ、そんなこともあるさ。どんまい64歳 笑
★ドラマの得点 10点★(ドクター・プリズナーを10点としたときの評価です)
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