オットケテンゴヤ?

韓ドラの話題90%以上(好みの合わない方ゴメンナサイ)

コミュニケーションの本質を考える/人は見た目が何割か?

 ものすごくシュールで、象徴的な夢を見た。

 なにかのYouTubeチャンネル的な動画を見ているのだが、画面に出ている男は上半身裸で亀甲縛りのようにされており、唯一自由のきく右手で自分の乳首をもてあそんでいる。そしてその状態で何かを喋っているのだが、耳を凝らすと、それは政治に関する話だった。話の内容は驚くべきことに実にまっとうなもので、現在社会の問題の本質を端的にえぐった、素晴らしい内容だったのだ。堕落しきった現代の政治をどこから改革していくべきかも明快に語っていて、内容は極めて示唆に富んだものであった。

 しかしその男は、そんな話をしながら、亀甲縛りにされていて、右手で自分の乳首をもてあそんでいるのである。

 次に、これまた亀甲縛りにされた上半身裸の女性が現れて、彼の隣におもむろに座った。少しだらしなく太った女性で、肉がはみ出している。彼はなんのためらいもなく、右手を彼女の乳房の方へと伸ばし、当然のシナリオであるかのように彼女の乳首をもてあそび始めた。

 そして2人はなにか対談を始めたのだが、その内容はなんと、現在の自民党政治の根本的な問題点を鋭く浮き彫りにする内容だった。どのようにすれば政権交代が可能なのかも、明快に、筋道立てて語っていたのである。

 ここで目が覚めた。夢は言語化すると長いが、イメージの積み重ねとして見ているので、実際この夢を見ていたのは一瞬だと思う。しかし一体なんなんだこの夢。

 

 さてそれで、いかに素晴らしい内容を語っていようが、それがどれほど示唆に富んだ話であろうが、亀甲縛りにされて乳首をもてあそびながら話しているような男の話を、いったいだれが真に受けるだろうか。

 たぶん、50%以上の人は、見た瞬間に拒絶反応を起こして、まずそもそも彼の主張に耳を傾けないだろう。残りの50%近くの人は、こんなふしだらで馬鹿で不道徳な奴らの言うことなんか間違ってるに決まってる、と、話の内容にかかわらず決めつけるだろう。

 逆に、彼らの主張を正しく理解し、その発言の「内容」と「意図」だけをしっかりと聞き取り、それを正しく分析・評価をした上で「いや、彼らは亀甲縛りで乳首をもてあそんではいるが、言ってる内容は極めて素晴らしい」と発言する人間がもし現れたら、どうなるだろうか。その答えは簡単だ。その人物も、「亀甲縛りで乳首をもてあそんでる人の言うことを聞くなんて変態なんですね」とひとくくりにされてしまって、一瞬で終わってしまうだろう。

 まあ、おそらくこれがコミュニケーションの本質ですよね。

 言語によらないコミュニケーションを「ノンバーバルコミュニケーション」といって、ある有名な調査では、人と人が対面で会話をしているとき、純粋に「言語」だけから受け取るメッセージは、わずか7%程度に過ぎないらしい。その他は、身振り手振りや表情や、もちろん2人の関係性や、そこから派生する2人の距離感や声のイントネーションなどから膨大な量の情報を受け取っているのだ。その、「言葉じゃないもの」がノンバーバルコミュニケーションで、「非言語コミュニケーション」とも言われる。

 たとえば、「ばかやろう」という言葉。

 これは「ばかやろう」だけでは実際のところ、その言葉が良いのか悪いのか、評価はできない。ある程度のシチュエーションがあって初めて、この言葉を評価することができる。例えば、政治家が記者会見で記者に対して言い放った「ばかやろう」と、大泉洋チームナックスの仲間に対して言う「ばかやろう」では、まったく言葉の表情が変わってくるでしょ?つまり、「言語」だけで人はコミュニケーションを取っているわけではない、ということなのだ。当たり前ではあるけれども、SNS全盛の今、これは意外と忘れられがちなことだと思う。

 

 上記の夢の場合、ほとんどすべての人が、「亀甲縛りにされて乳首をもてあそんでいる」という壮絶な非言語コミュニケーションから、圧倒的な情報を得るだろう。したがって、話の内容に関しては、詳細に検討する前から「到底信用するに足るものではない」と決めつけてしまう。

 

 この話から得られる教訓は、「ちゃんとしたことを話しているときは、亀甲縛りにされていたり乳首をもてあそんだりするのはよくない」ということでももちろんあるんだけど、もっと更に重要な教訓がある。

 

 それは、「逆に言うと、詐欺師は常にスマートで賢そうにして勇ましい」ということだ。

 とくに、いつも断言する人間には注意したほうが良い。物事を断言するという手法は、「自分はこの話題に関して全てを見通している」というメッセージを強く持った非言語的コミュニケーションであり、併せて「反対意見を言うやつはバカである、勉強不足である」ということを強く示唆しうる非言語的コミュニケーションだからだ。つまり、「断言」調の話し方を多用する人は、「自分は強くて賢く、とてもスマートだ」というメッセージを、相手に強く印象づけたい場合が多い。それを意識的にやってるなら詐欺師に近いし、逆に無意識にやってるならば、信じられないほど支配欲が強いのか、あるいは何かの強いコンプレックスの裏返しなのか、どちらかではないだろうか。

 そして、必ず一定の数の人間がその「断言する人」に騙されてしまう、ということになる。とくに、自分の頭で考える習慣のない人たちは、断言を多用する人をうっかり信じ込んでしまう。断言を多用する側としては、その効果を知っている程度には頭が良いので、危険である。(・・・なんか、娘の住む自治体の首長を思い出してしまった笑)

 みんなそろそろ、「ノンバーバルコミュニケーション」だけじゃなくて、もっと「言葉の内容」に対して真剣に向き合うときが来てるんじゃないかな。人は言葉によって生きる動物だから、往々にして真実は「言葉」の中にあるのだ。

 これからの時代、よくよく自分の頭で考える習慣をつけないと、生き残っていくのが難しいかもしれないよ?