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【ネタバレ】韓ドラ『イ・ドゥナ!』/最終回をしっかり楽しむために、三つ編みの謎解き〜ラストもやもやした人、読んで!

 イ・ドゥナ観ました。高齢者男性の僕としては、おそらく自分はドラマのターゲットじゃないだろうなと思いながら観始めたんですが、いやーとんでもない、素晴らしいドラマでした!

 もうほんとに、ピュアすぎて切なくて、、、

 カサカサに乾いた僕の体ですら、ときおり目頭が熱くなるという反応をしてしまいました。僕の世代であのドラマを観て泣くというのは、そのピュアさと純粋さと切なさに泣くというのももちろんあるんですが、「自分がかつて持っていてたぶん二度と持てないもの」への切実な郷愁として涙がこぼれ落ちる、という反応のほうが強いかもしれません。

 自分がかつて持っていてすでに失ったものは、たとえば「人生に残されていそうな時間」とか「あんなに痛いほどに人を好きになる純粋さ」とかです。

 想像以上に、いいドラマでした。

 ただ、最終回モヤモヤした人もけっこういるみたいなので、どういうふうに観たらもっと楽しくなるか、僕なりの感じ方を書いてみます。

※以下、ネタバレ全開です

 

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いろんな所で言われてますが、ハッピーエンドでしょう

 僕個人としては、このドラマのエンディングがハッピーエンドなのかそれともすれ違いで終わったのかは、実はそんなに重要ではなくて、それよりもあそこに至るまでのウォンジュンとドゥナ、そしてさらにはウォンジュンとジンジュのそれぞれを想う痛切な気持ちを、とてもきれいな映像で美しく描ききった・・・という点でドラマとしてはすでに完結しているんじゃないかな、という気がしています。

 だから、どうとも解釈のつきそうなあの終わり方、実はとても余韻があって、美しく切ない終わり方で、あれはあれでとてもいいんじゃないでしょうか。

 あんなにまでストレートな気持ちを、みんな言葉にするのがヘタくそで、自分の気持を受け入れるのもヘタで、だから当然それを相手に伝えるのも、もどかしいぐらいヘタくそで、それでも気持ちだけは痛いほどにどんどん膨らんでいってしまう。それなのに相手の気持は全く見えてこない・・・もうね、観ていてほんとに切ない。

 しかしまあ、いろいろと言及されていますが、第9話の冒頭部分、コキアが生い茂る中で向かい合う2人のシーンが「真のラストシーン」ですよね。

 ドラマでは第9話のラストシーン、日本公演が終わったドゥナと日本に出張に来たウォンジュンが逆方向に歩いていって、ドゥナが一瞬振り返って別方向へと歩み始めて終わりますが、その後に続くのがやはり冒頭のシーンだと考えるのが自然だと思います。

 コキアのシーン、ウォンジュンがビジネス用のコート着てますからね。

 こういう場合の「衣装」って、間違いなく観客に対しての重要なメッセージで、重要なヒントです。「衣装」は必ず意味があってセレクトされるからです。撮影にあたってテキトーなものを着せるということは、絶対にありえないんです。

イ・ドゥナはイントロスキップしたらダメですよ、ヒントがいっぱいある

 ネトフリは「イントロスキップ」ボタンがあるんですが、イントロもドラマの重要な一部である場合が多いので、スキップしないほうが良いですよ。

 イ・ドゥナのイントロ映像は、2人が出会ってからの流れを時系列的に、フラッシュ映像でつないでいく構成となっています。(キャプチャ映像貼るとわかりやすいんですが、それやると著作権の侵害になるので、皆さんご自分のデバイスで確認してみてくださいね。)

 イントロの真ん中あたりで、ドゥナが一人で列車に乗ってどこかに向かうシーンがほんの一瞬挿入されています。気づいた方も多いかもしれませんが、その時の衣装が、第9話の冒頭のコキアのシーンの衣装と同じなんですよね。大きなつば付きのチェックのキャップをかぶって、ダンガリーっぽい生地のトップス着て列車に乗ってるんです。

 で、「列車に乗っている」ということは、明らかに「目的があってどっかに向かってる」わけですから、これはコキアの茂る公園(か川べりか)で待ち合わせしてたと考えるのが自然です。コキアの前で出会ったときのドゥナの目は、「恋する純粋なドゥナ」の目だと思います。

 そして、その「列車に一人で乗るドゥナ」の映像の直前は、2人のいちばん大切な思い出となってるはずの「逃避行先での自転車」のシーンなので、その思い出を胸に列車に乗っている、という流れにしたかったんじゃないかな、と思います。

 ああいう、映像の編集ってこれもまた絶対にテキトーにつなげたりはしないので、何かしらのメッセージがあると思って観たほうがいろいろ面白い場合多いですよ^^

 しかも、あんな「コキアが茂る公園だか川べりだかどこか知らないけどどこか」で偶然ばったり会うなんてありえないですからね。あのときの2人のあの落ち着きようは、明らかに「待ち合わせ」ですよねーーーーって感じです。ウォンジュン、照れくさそうに少し笑う方向に顔の筋肉が動きますからね。ほんと、演技が上手い!

 まあ、順当に考えればあれは「日本のどこか」で待ち合わせしてるんじゃないでしょうかね?断言はできないですけど。

イ・ドゥナのイントロ映像、謎の三つ編みに込められた意味は?

 これ、みんな不思議に思ったんじゃないでしょうか?イントロのラスト近くでドゥナちゃん三つ編みにしてるし、すごく笑ってるし。でも本編で三つ編みにしてるシーンなんか一切ないじゃないですか。

 ・・・でね、解説する前にいちおうエクスキューズ的にちょっとだけ書いておきますと、僕は広告を作る仕事をしていたので「撮影」の現場はものすごくたくさん経験してまして、しかも僕がクリエイティブ・ディレクターだったので、僕のOKナシには物事が進まない、というポジションやってました。

 その経験から言いますと、ヘア/メイクと衣装って決定的に重要で、ヘアメイク衣装の3点セットはどんな場合にも絶対に「意図して作る大きなメッセージ」です。どんな小さな撮影でもヘアメイクと衣装をおろそかにすることはありませんし、ましてやテキトーに済ませることなんて100%ありません。

 つまり何を言いたいかというと、あの謎の三つ編み、現場のヘアメイクさんが「こんな感じでやってみましたけどどうでしょうか」って出してるものでは、絶対にない、ということなのです。あそこまでドラマの世界観と全く違うものを表現するからには、必ず監督/ディレクターのコト細かな指示があるはずです。

 じゃあ、監督はあの三つ編みを通して何を表現したかったんでしょう? しかもドゥナちゃん、本編で見せたことないような笑顔ですごく笑ってますし・・・

衣装とセリフとメイクから読み解ける、三つ編みに込めたメッセージ

 まず、あの三つ編みのシーンの場所ですが、第8話でウォンジュンと訪れた海ですよね。その第8話の海のシーンで、ドゥナは「できるだけ平凡で普通のものが好き」という、意外とも思えるセリフを言っています。ウォンジュンと2人きりのあのシーンで変な嘘をつく必要もなく、逆に、「平凡で普通なもの」が何一つない世界で生きてきたからこその、リアルな気持ちだったのではないでしょうか。

 で、衣装とメイクに着目すると、ドゥナが「自暴自棄になってどん底から這い上がれなかったとき(つまり芸能界にも未練はあったがどうにもその気持ちも断ち切れず、でも無理だと思い、Pに捨てられたという気分になってた時期)」は彼女の衣装、基本的に脚が常に素足丸出しで、へそもほぼ丸出し。簡単に言うと、「自暴自棄のドゥナは露出度かなり高め」の衣装、という記号なんです。

 撮影は冬だったそうですから、「自暴自棄」の記号としての「露出度高い」衣装は大変だったんじゃないかなー・・・

 で、本編中に一度だけドゥナちゃんが普通の格好をしていたときがあって、それはどこかの田舎への2人の逃避行のときですね。あのときは、普通にデニムをはいて、なんと胸に「LOVE」って刺繍のある可愛いセーター着てますからねー!

 つまり、ウォンジュン大好きでウォンジュンと一緒にいて静かな幸せを感じているときは、ドゥナちゃん露出度ほとんどゼロのコスチュームなんです。

 もう一つ、メイクに注目すると、「自暴自棄」時代のドゥナちゃんは、基本アイライン強めで、目ヂカラ強調になってます。で、ウォンジュン大好きモードのときは、もうすこしナチュラルっぽい感じの仕上がりにてるケースが多いようです。

 で、そうしたことから三つ編みの謎を解いてみると・・・・

 あのイントロの三つ編みシーンは、「できるだけ平凡で普通のものが好き」とウォンジュンに告白した海辺で、「三つ編み」で「デニムはいて」、しかもトップスに至っては「スタジャンみたいの着てる」・・・と、正直かなりダサめの作りなんですよね。

 でもこれ、ものすごく「平凡で普通」じゃないですか!

 メイクなんか、一瞬別人かと思えるぐらい普通な感じで、しかも劇中では全く見せることのない屈託のない笑顔で大きく笑ってます。

 だからあのシーンから読み取れることは、ドゥナがいつかなりたいと思っていた「とても平凡で普通」な自分に、ある日とうとうなることができて、仲間たちに本当の友達として受け入れられた、というメッセージなのではないかなと思います。

 もうひとつ、あの衣装とメイクは「ウォンジュン大好き幸せモード」のときのドゥナちゃんの記号なので、少なくともとても幸せなイメージの表現だと思います。

 もちろん、それらのことがドゥナの心の中で起こった心象風景なのか、それとも何年後かの実際のこととしての表現なのかはわかりません。ただ、ウォンジュンが明らかにおでこを出したヘアスタイルになっているので、もしかすると「何年後」かの出来事を想定しているのかもしれませんね。韓ドラ観てる人なら解ると思いますが、「前髪おりてる男子」はまだ少年の延長、「前髪上げた男子」は大人ですからね。(そしてドラマの中のウォンジュンは、ずっと前髪下ろした男子です)

 で、結局のところ、第9話でドゥナが「今は自分が好き 最高に調子いい」というセリフを泣きながら言いますが、これはおそらく本当のことで、仕事が自分の思うようなイメージでとてもうまくいっていて、完全に生まれ変わったんでしょうね。

 しかしその一方では「とても平凡で普通」を愛する自分との折り合いもついて、「平凡ではない仕事」と「平凡が好きな本当の自分」との両立が可能になった、という素晴らしいメッセージが、あの三つ編みだったのではないかと僕には思えます。

 そう考えると、このドラマはイ・ドゥナが愛によって再生し、自分を発見していくというドラマなわけです。だからタイトル「イ・ドゥナ!」なのでは・・・?

 で、蛇足ですが、イントロのいちばん最後、ドゥナとウォンジュン2人で並んで海を見てますよね。あのイントロが仮に「時系列」を意図して作られているものだとしたら、やっぱりハッピーエンドですね^^

 まあ、監督も「この作品を見て、幸せな気分になってほしいと思います」って明言してますしね。・・・でもあの短いイントロ映像に込めたメッセージ、ちょっと多すぎませんか?笑

スジちゃんが人類史上最強クラスにかわいい

 いやー、スジちゃん可愛すぎてびっくりしましたねー!ほんと、人類史上最高にかわいいんじゃないでしょうか笑

 で、このドラマ、まあ3回は泣きますね笑

 1回目は、ジンジュがウォンジュンに泣きながら告白するシーン。

 2回目は、ドゥナが絞り出すように言う「サランヘ」

 3回目は、ドゥナのこころの叫び「後悔したと言って!」からの「会いたかった・・・!」

 ということでまあ、フィリピンでマネーロンダリング資金洗浄)するドラマ(シスターズ)を見た後に、お金ではなくて心がきれいに洗われる、とても良質なドラマでした。僕が女性なら、たぶんヤン・セジョンにメロメロになりますね笑

 ヤン・セジョンさん、実年齢より10歳近く若い役を演じるために、ヒゲのレーザー脱毛とかしたらしいですねー!現在の実年齢31歳とは思えない、あのイノセントで誠実そのものな感じ、本当に上手い役者さんだと思います。

 キムサブのファーストシーズンに出てたときは、すごくとんがった感じの役柄だったんですけどね。本作では、なにしろ彼が抜群に良かったのが、没入度かなり高くなった大きな要因かな、とも思います。

 

★ドラマの得点 13点★(ドクター・プリズナーを10点としたときの評価です)

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